守り続ける酒造りの哲学。

新潟県南魚沼市。日本屈指の豪雪地帯と呼ばれるこの土地で、100年以上にわたり酒造りを続けてきた酒蔵がある。日本酒「八海山」で知られる八海醸造だ。
霊峰・八海山の伏流水、生まじめな魚沼人気質、そして自然に寄り添った発酵食文化。その積み重ねの中で、この土地ならではの風土と酒が育まれてきた。そして、人の営みとともに受け継がれてきた酒造りは、世界へと広がり始めている。4代目の南雲真仁社長に、酒蔵の歴史と酒造りの哲学、そしてこれから描く未来について話を伺った。

南雲 真仁(なぐも まさと)

新潟県南魚沼市生まれ。日本酒「八海山」を製造する八海醸造の家に生まれ育つ。大学卒業後、2018年に八海醸造へ入社。製造現場での研修を経て海外営業などに携わり、2020年副社長に就任。2025年代表取締役社長に就任し、100年以上続く酒蔵の4代目として経営を担う。日本酒「八海山」を中心に、クラフトビール「ライディーンビール」やライスグレーンウイスキー、麹甘酒、発酵食品など、発酵・蒸留の技術を生かした事業を展開。「SAKEを世界飲料に」という思いのもと、日本酒文化の海外発信にも取り組んでいる。

魚沼の自然と人が育てた酒蔵。

八海醸造はどのようにして始まった酒蔵でしょうか。

1922年に私の曾祖父にあたる南雲浩一が創業しました。
曾祖父は南魚沼の旧城内村という地域の地主で、地域の活性化を目的にさまざまな事業を行っていました。小さな電力会社を作ったり、製糸工場を立ち上げたり、病院を誘致したり。その取り組みの一つとして酒蔵を始めたんです。
当時は今のように産業が多い時代ではありませんでしたから、地域の中で仕事をつくり、人が働ける場所をつくることがとても大切だったのだと思います。 酒造りは地域の人たちが関わる産業でもありますし、この土地の風土を資源として生かす仕事でもあります。そういう意味でも、酒蔵を始めたのはこの地域の中で自然な流れだったのかもしれません。

創業当時の魚沼という地域は、どのような場所だったのでしょうか。

八海醸造の位置する旧城内村は、人口も少ないエリアで交通も整っていませんでしたし、産業も多くはありませんでした。雪も多い地域ですから、冬の生活は今以上に大変だったと思います。
創業者はさまざまな事業を通して地域の暮らしを支えていたのかもしれません。

酒蔵は地域の暮らしの中から生まれたものだったのですね。

そうですね。酒蔵というのは単に酒を造る場所というだけではなく、地域の人たちが働き、地域の水で酒を造り、その土地の風土とともに続いてきたものなのだと思います。

当時の酒蔵は、どのような様子だったのでしょうか。

今とはずいぶん違っていたと思います。当時の八海醸造はとても小さな酒蔵で、生産量も現在とは比べものにならないほど少なかったです。
今年で創業104年目になりますが、日本酒業界の中では比較的後発の酒蔵なんですよ。魚沼エリアには歴史の長い有名な酒蔵が多く、すでに市場も埋まっていたため、後発である八海醸造は経営的にもかなり難しい状態から始まったと聞いています。
その2代目を継いだのが、私の祖父にあたる南雲和雄です。当時28歳だったそうですが、南雲和雄を含めた5人のメンバーが、それぞれの役割を持ちながら、八海醸造の礎を築いてきたと聞いております。
番頭役を務めていたのが富所義五郎、販売に力を尽くし、資金調達など経理面でも活躍したそうです。
杜氏として高浜春男が酒造りを支え、八海醸造の目指す高品質な酒造りを進めていたと聞いています。
そして、出来上がった酒の瓶詰めを担っていたのが丸山孝男でした。当時は機械化も進んでいませんでしたから、瓶詰めもすべて人の手で行われていました。
もう一人は私の祖母である南雲仁です。
みんな30歳前後だったと聞いていますが、とにかく品質の高い酒を造り、お客様にお伝えをしていきながら、少しずつ八海山も世の中に認知いただけるようになっていったようです。

その酒蔵の歴史の中で「おっかさま」と呼ばれる重要な方がいたと伺いました。

おっかさまと呼ばれていた南雲仁は私の祖母です。「八海山」の歴史を語るうえで、とても大切な存在のひとりです。祖母は蔵人を支える存在であると同時に、酒蔵を訪れる人をもてなす役割も担っていました。当時は周りに飲食店が少なかったことや、お金をかけてお客様をお連れする事ができなかったため、自宅で魚沼の郷土料理を用意して、「八海山」と一緒にお客様をおもてなしていたそうです。魚沼の料理と一緒に「八海山」を楽しんでもらうことで、酒と地域の魅力を知ってもらう。そうしたおもてなしの中で、「八海山」という酒も少しずつ広まっていったのだと思います。

この魚沼という土地は、酒造りにとってどんな場所なのでしょう。

魚沼という土地の自然環境は、酒造りにとって、とても大きな意味があると思っています。
この地域は雪が本当に多くて、2メートル以上積もることもあります。
生活の中では大変なことも多いですが、その雪が春になるとゆっくり溶けていき、その雪解け水が山や大地に染み込み、地下水として流れていくんです。

雪の多い土地だからこそ、水が育つということですね。

酒造りにとって水はとても重要です。
我々の酒造りも、冬に大量の雪が降り、溶け出し、何十年もかけて磨かれた雪解け水があるからこそ成り立っています。
また、魚沼は米どころとしても知られていますが、それもやはりこの水があるからだと思います。
雪が多いという自然環境が、水を育て、米を育て、そして酒造りにもつながっている。人を含めた魚沼の自然や四季そのものが酒造りの土台になっているのだと思います。

酒造りは、魚沼の四季や暮らしとどのようにつながっているのでしょうか。

魚沼の冬は雪が多く、生活は大変です。ただ、地元の人たちはその中で暮らしを工夫しながら、冬は嫌だと嫌だ言いながらもどこか楽しんでいるようにも見えるんですよね。一般的には季節のサイクルは「春夏秋冬」の感覚だと思いますが、この地域は「冬から始まる」ような空気感があって、「冬春夏秋」という順で動いているように感じています。酒造りも冬から本格的に始まりますから。
寒く厳しい環境の中で仕込みが始まり、蔵の中も張り詰めた空気になります。やがて雪が溶け、新緑が芽生え、「また春が来た」と感じる頃に酒もできあがってくる。魚沼の四季の巡りと酒造りのサイクルが重なっているように感じています。
厳しい冬の中にある美しさや、そこを乗り越えたからこそ感じる春の喜びも、この土地の魅力だと思っています。そうした「魚沼」という生き方の中で酒造りをしているからこそ、今の「八海山」の酒があるのだと思います。私自身も、魚沼はとてもいい地域だと感じています。

日常の中で飲まれる酒へ。

八海醸造の酒造りの考え方を教えてください。

創業当初から「食中酒」を目指しています。食事の味わいを引き立てて、人とのコミュニケーションを豊かにする酒であることを大切にしてきました。
料理の味を邪魔するのではなく、自然に寄り添う酒であること。食卓の中で料理と一緒に楽しんでもらえる酒、日常の中で自然に飲まれていく酒でありたい。そういう考え方で酒造りを続けてきました。

地酒ブームの時代には、「八海山」も大きな注目を集めました。

当時は、なかなか手に入らないお酒と言われるようになったんです。
それは私たちにとって嬉しいことでもありましたが、一方で少し複雑な思いもありました。 というのも、「八海山」は本来、日常の中で楽しむ高品質な食中酒だからです。食卓の中で料理と会話とともに、自然に楽しんでもらえる酒でありたい。そう思って酒造りを続けてきましたが、実際にはプレミアがついて、手に入りにくい酒として扱われることもありました。そこに、自分たちが目指していた酒のあり方とのギャップがあったのだと思います。

そうした経験の中で、「品質責任」と「供給責任」という 考え方が生まれてきたのですね。

酒蔵としてまず大切なのは、よい酒を造ることです。その品質を守り続けることが「品質責任」です。
そしてもう一つは、その酒を必要としてくれる人に安定して届け続けること。安定した品質で酒を造り、それを継続して届けていくことが「供給責任」だと考えています。
もちろん、品質を守ることと多くのお客様に届けることは簡単に両立できるものではありません。量を増やせば品質が下がる可能性もありますし、品質だけを追求すれば限られた量しか造れなくなってしまいます。だからこそ私たちは、酒造りの基本を大切にしながら、製造体制や流通体制を整えてきました。
2004年には第二浩和蔵を建設し、より多くのお客様に酒を届けられる体制を整えました。ただし、単に量を増やすのではなく、品質をさらに高めることを前提にした取り組みです。そうした取り組みを続けてきたことで、現在ではレギュラー商品については、比較的安定してお客様に届けられる体制になってきたのではないかと思います。

品質を安定させるために、どのような技術や考え方を大切にしていますか。

日本酒づくりで、八海醸造の本質的価値だと思っているのが「加工技術」です。
日本酒は米のデンプンを糖に変えるところから始まります。麹づくり、酵母の培養、アルコール発酵させそれを搾り、貯蔵と、いくつもの工程を経てやっと完成します。
それぞれの工程は、「本醸造」「吟醸」「純米大吟醸」など、目指す味の目標に合わせてデザインしています。精米歩合も含めて、すべて逆算ですね。
原料へのこだわりはもちろんですが、それをどう活かすかは蔵人や技術者の力。そこが私たちの酒づくりの本質だと思っています。
また、品質の安定にも取り組んでいますが、お米の状態は毎年違うので、どうしても酒の出来に影響します。 そこで、うちでは「自家用大吟醸」というお酒を造っています。販売はしない、我々のすべてのお酒の指標になるような存在なんです。それを毎年造り続けることで技術を蓄積して、その知見を他のお酒にも応用し、すべての八海山の品質を高めていくという考え方でやっています。

酒造りの長い歴史の中で、変わらず大切にしていることは何でしょうか。

米と水を使い、発酵の力を借りて酒を造るということは、今も同じですが、現状に満足せず、より高品質にするべく、絶えず改善をするということを意識しています。
その中で私たちが大切にしているのは、食事と会話とともに楽しめるような、そういった豊かな時間を演出することのできる」「食中酒」を造るという考え方です。
料理の味を引き立て、飲み飽きせず、日常の中で自然に楽しんでもらえる酒であること。その酒質を実現するために、一つ一つの工程を丁寧に積み重ねていく。そうした基本を大切にしながら続けてきたことが、「八海山」の酒造りにつながっているのではないかと思います。
淡麗でバランスが取れていて、飲み飽きしない味わい。料理の味を邪魔するのではなく、自然に寄り添いながら食事を引き立ててくれる酒。日々の食卓の中で、料理と一緒に自然に楽しんでもらえる酒です。

魚沼で育った、酒蔵の後継者。

南雲社長ご自身は、この南魚沼で育ったそうですね。

そうですね。細かく言うと一瞬東京にいた時期もあるんですが、中学生のときにこちらに戻ってきたので、ほとんどずっとこの地域で育ちました。この地域は自然が本当に豊かなので、子どもの頃は外で遊ぶことが多かったですね。
川で遊んだり、自転車で走り回ったり、冬になるとスキーをしたり。今振り返ると、ごく普通の子ども時代だったと思います。勉強はあまりしていなかったですね(笑)。自然の中で遊びながら育ったという感じです。

酒蔵のある環境で育つというのは、どんな感覚だったのでしょう。

小さい頃は酒蔵の敷地の中に家があって、会社の人やお客様がよく来ていました。大人たちがお酒を飲んでいる場にいることもありましたけど、それが当たり前という感じでした。子どもの頃は特別なことだとは思っていなかったんですが、今振り返ると少し特殊な環境だったのかもしれません。酒蔵が生活のすぐ近くにあったという感覚ですね。

子どもの頃から酒造りの仕事を意識されていましたか。

いえ、子どもの頃はあまり意識していなかったと思います。酒蔵が身近にあるのは当たり前でしたけど、将来、この仕事をするということを考えていたわけではありませんでした。普通に学校に通って、友達と遊んでという生活でした。

大学時代には海外にも行かれたそうですね。

大学4年生のときに休学して、1年半ほどイギリスにいました。大学の施設に住みながら生活していたんですが、パブに行って、ビールを飲みながらサッカーを見たり、スコットランドで蒸留所を回ったり、イギリスにいるからこそできるお酒の楽しみ方を経験しましたね。

海外での経験は、その後の考え方にも影響しましたか。

ヨーロッパも、お酒が生活の中に自然にあるという印象がありました。パブという場所が、地域の人たちの社交の場になっているのも印象的でしたね。
そうした文化に触れたことで、お酒というのは特別なものというより、生活の中で自然に楽しむものなんだという感覚を持つようになりました。
現在、八海醸造では、日本酒だけでなく蒸留酒づくりにも取り組んでいて、米を主原料にしたライスグレーンウイスキーの製造にも挑戦しています。そうした文化の広がりや、日本の酒蔵として、新しいお酒の可能性にも挑戦していきたいと思っています。

八海醸造にはどのような流れで入社されたのでしょうか。

大学を卒業する頃、苗場にある弊社の飲食店の立ち上げを手伝っていました。スキー場には全国から多くのお客様が来ますし、飲食の現場やサービスの仕事を経験できたことは良い経験だったと思います。
その後、八海醸造に入社しました。特別に大きな決意をしてというよりは、自然な流れだったという感じかもしれません。
入社して最初の1年間は製造部で研修をしました。
酒造りを中心に、麹甘酒なども含めて、いろいろな現場を回りながら仕事を覚えていったという形です。実際に現場に入ってみると、酒造りは想像以上に手間のかかる仕事だと感じました。多くの工程があって、それぞれの工程を丁寧に積み重ねていくことで酒ができていく。そういうものづくりなんだということを現場で学ばせてもらいました。

実際に酒造りの現場に入ってみて感じたことは?

現場に入らせてもらい、酒造りというのは本当に繊細な仕事なんだということを実感しました。

酒造りの魅力はどんなところでしょう。

酒造りの魅力は、やはり奥の深さだと思います。同じように造っていても、気温や湿度、その年の米の状態によって酒の出来は変わります。毎年同じ酒になるとは限らないところが、この仕事の難しさでもあり、面白さでもあると思います。
だからこそ、一つ一つの工程を丁寧に見ていくことが大切になりますし、そこに酒造りの技術や経験が生きてくるのだと思います。自然と向き合いながら酒を造っていく。そういうところが、酒造りの面白さなのではないかと思っています。
また、自分たちだけで成り立っている仕事ではないですし、米を作る人がいて、水や自然の環境があって、そして蔵の中で働く人たちがいて、はじめて酒ができあがります。
さらに言えば、お客様や地域の方々との関わりの中で、酒蔵という存在は続いてきたのだと思います。そうした多くの人のつながりの中で、酒造りが成り立っているということを、常に意識して、仕事をしていくことが大切なのではないでしょうか。

八海醸造が描く日本酒の未来。

今後の酒蔵のあり方についてどのように考えていますか。

酒蔵というのは、長い時間の中で続いてきたものですから、自分たちの代だけで何かを完成させるというより、魚沼の地で104年前に生まれ、続いてきた思想と酒造りを、次の世代へつないでいくことが、大切なのだと思っています。

新しいお酒づくりにも挑戦されていますね。

もともと、日本酒を製造する中で培ってきた知見を、「米と麹と発酵。そして、水。」というテーマにしながら、日本酒以外の製造にも取り組んできましたが、先ほどの話にもありました、米を主原料にしたライスグレーンウイスキーの製造にも取り組んでいます。米を主原料にしてウイスキーを造るというのは、世界的にも珍しい取り組みだと思います。
また、魚沼の名水「雷電様の清水」を使ったクラフトビール「ライディーンビール」。水や発酵の技術など、酒造りで培ってきたものを生かした取り組みです。
ジンとモルトウイスキーは、北海道のニセコでグループ会社「ニセコ蒸溜所」を立ち上げ、製造しています。あとはニューヨークのブルックリンの酒蔵と、業務・資本提携を2021年に組みました。実際に蔵人も移住してアメリカ人と日本人が一緒に酒造りを行っています。こうした新しいお酒づくりが、これまで培ってきた技術の延長線上で展開しています。

新しいお酒づくりに取り組む中で、どんな面白さや手応えを感じていますか。

新しいことに挑戦していく中で、これまでの経験が違う形でつながっていく面白さは感じています。酒造りで培ってきた技術をベースにしながら、違う形でお酒として表現できるというか、今までにないものが少しずつ形になっていく過程は面白いですね。もちろん簡単なことではありませんが、その分、試行錯誤しながら形になっていくところにやりがいを感じています。

日本酒を世界に広げる取り組みも進めていますね。

「SAKEを世界飲料に」という目標を掲げて、現在は30カ国以上に輸出しています。日本酒の文化や魅力はもっと広がると思いますし、各国のどんな料理にも合いやすいことから、ワインやビールのように、世界のさまざまな地域で、楽しまれるお酒になっていく可能性も、あるのではないかと思っています。

MLBロサンゼルス・ドジャースとの取り組みは、大きな話題になりました。どのような経緯で実現したのでしょうか。

最初は、ドジャースの方からお声がけをいただいたのがきっかけでした。大谷選手をはじめ、日本人選手が活躍していることもあって、日本企業とのパートナーシップをいろいろ検討されていたようです。
その中で、日本酒という伝統産業に興味を持っていただけたようで、私たちとしても、日本酒を海外の方に知っていただく良い機会になるのではないかと思い、今回の取り組みにつながりました。

メジャーリーグのスタジアムで日本酒が提供されるというのは、 とても新しい取り組みですね。

米国アルコール市場で清酒のシェアはわずか0.2%。飲まれている、知られているとは言えない状況ですが、スタジアムで実際に飲んでいただくことで、日本酒に興味を持ってもらうきっかけにもなると思います。

実際にどのような反響がありましたか。

日本国内では記念ボトルも発売させていただきましたが、多くのお客様に手に取っていただき、大きな反響がありました。
日本酒の市場は1970年代をピークに縮小していると言われていて、以前に比べると日本酒を飲む機会自体が少なくなっている部分もあります。
そうした中で、ドジャースとの取り組みをきっかけに、日本酒を改めて手に取っていただいたり、興味を持っていただくきっかけになっているのではないかと感じています。また、違う商品の展開も、今後していけたらと考えています。

「Hakkaisan」というブランドを広げていくために、どのような取り組みをされていますか。

「八海山」というと、日本酒のブランドというイメージを持たれている方が多いと思います。 もちろん日本酒「八海山」は私たちの中心となるブランドですが、実際にはビールや焼酎、麹甘酒、蒸留酒など、さまざまな取り組みを行っています。
ただ、そうした活動がまだ十分に知られていない部分もあるので、「Hakkaisan」という日本酒「八海山」だけではない我々の活動全体を、より認識していただくことが重要だと考えています。
100周年のタイミングでは新しいコーポレートロゴも作り、日本酒だけでなく、さまざまな商品や事業を含めた、「Hakkaisan」というブランドを、広げていく取り組みを進めています。そうした形で、ブランドの可能性を少しずつ広げていければと思っています。

地域とともに歩んできた八海醸造は、どんな酒蔵でありたいと思いますか。

八海醸造は、地域の自然や人の営みの中で続いてきたものです。冬が来て雪が降り、水が湧き、魚沼の四季が巡る中で、そこに生きる人たちの想いが重なって酒ができていきます。
魚沼の環境が酒造りに大きく関わっており、そうした地域の風土があって、今のHakkaisanが成り立っているのだと思います。
私たちもその流れの中で、活動を続けさせていただいています。これまで続いてきたものを大切にしながら、より良いものとして、次の世代へとつないでいくことが重要なのではないかと思っています。

これからの世代へ、メッセージをお願いします。

あまり偉そうなことは言えないのですが、いろいろな経験をすることは大切なのではないかと思っています。振り返ると、そのときの経験が、後から活きてくることも多いと感じています。
一歩踏み出す勇気を持って、やったことのないことに挑戦してみたり、新しいことを経験してみたりすることは、やはり大事なのかなと思います。自分自身も、やりたくないことも、やむを得ずやってみたことも含めて、新たな経験の中で学ぶことが多かったと感じています。

改めて、八海醸造がこれから目指していく姿を教えてください。

私たちが目指しているのは、「未来永劫、終わらない会社」です。
八海醸造というのは、多くの方々に関わっていただきながら続いてきたものですから、自分たちの代だけで、何かを完成させるということも重要だと思いますが、次の世代へとつないでいくことも大切だと思っています。
そのためには、今のやり方にとどまるのではなく、変化や挑戦を続けていくことが必要です。
これまで培ってきた酒造りの技術や経験を生かしながら、新しい取り組みにも挑戦していくことで、会社としての可能性を広げていきたいと考えています。
そうした積み重ねの中で、これからも、この魚沼の地で酒造りを続けていける会社でありたいと思っています。