人も地域も巻き込んで、 挑戦は青天井。

新潟市南区味方に店を構えるローカルスーパー「マスヤ」。店内には、栗林礼奈さんが自ら出会い、心を動かされた県内外のおいしいものが並ぶ。商品の魅力だけでなく、作り手の思いや背景まで届けることを大切にし、SNSや手書きPOPでもその魅力を発信。時には失敗や地域のピンチさえ、人を巻き込みながら思いがけない物語へと変えてきた。地域に根ざしながら、目指すのは「世界に届くスーパー」。人と食、人と地域をつなぎながら、栗林さんは今日もマスヤから新しい物語を生み出している。

栗林 礼奈(くりばやし れな)

1991年、新潟県新潟市南区出身。高校卒業後、京都の大学へ進学し、卒業後は東京で大企業向けのシステム営業に従事。ワーキングホリデーを目指して退職するも、コロナ禍で帰郷。家業のマスヤを手伝う中でスーパーの仕事を「天職」と感じ、経営に参画。2026年3月、株式会社マスヤ代表取締役社長に就任。「ローカルスーパー」という言葉をいち早く使い、その魅力を発信している。

もう、新潟へ帰るしかなかった。

毎朝、ご自分で農家さんへ野菜を取りに行っているんですか。

そうそう。自宅から赤塚を回って、野菜を受け取ってから店に来ています。
農家さんによって、野菜が採れる時間も毎日違うんですよ。雨が降れば作業が遅くなるし、予定どおりにいかないこともあります。
店の開店準備は現場のスタッフにお願いしています。私は農家さんと直接コミュニケーションを取りたいので、自分で行っているんです。 それに、今の季節は赤塚へ向かう途中の景色がめっちゃきれいなんですよ。緑の田んぼの向こうに、角田山と弥彦山。もう、この風景が大好きです。

社長になっても、現場を走り回っているのですね。

全然、苦じゃないんです。東京で営業をしていた頃に、どぶ板営業をめちゃくちゃしてきたので(笑)。
以前、いろいろなミスが重なって、約2万部のチラシを予定日に新聞へ折り込めなかったことがありました。売り出しに合わせて、商品はたくさん用意していたので、「やばい」と思って。
それで、テレビ局へチラシを持っていったり、古町ルフルの一番上の階から順番に回ったり、教育委員会や市役所などへ手配りしたんです。周りには驚かれますけど、人にお願いするからには、誰よりも自分が一番動かないと駄目だと思っています。

幼い頃から、家業を継いで自分が店を動かす姿を思い描いていましたか。

いや、全くないんです。むしろ、家業は継ぎたくないと思っていました。
だから私は、高校卒業後には逃げるように新潟を離れたんです。

今の栗林さんからは、少し意外です。

そうですよね(笑)。今はスーパーの仕事に夢中ですが、最初からこの仕事が好きだったわけでも、店を継ぐつもりがあったわけでもありません。
新潟へ戻ったのも、悩んだ末に決めた前向きなUターンではありませんでした。本当にもう、帰るしかなかったんです。

そこに至るまで、どのような道を歩んできたのでしょうか。

高校卒業後は京都の大学へ進みました。小学6年生の時、京都旅行で見た夕焼けに染まる五重塔がずっと心に残っていて、高校3年生で進路を考えた時に「そうだ、私、京都に住みたかったんだ」と思い出したんです。

大学卒業後、東京で就職した理由は何でしょう。

特に母が働き者で、その背中を見て育ったので、心から仕事を楽しみ、バリバリ働く女性に憧れていました。
それに、私は子どもの頃から自分に自信がなく、「一流」という言葉に惹かれていたんです。一流のビジネスを学ぶなら東京だと思い、大企業向けのシステム営業に就きました。契約までに2年ほどかかるような高価格帯のシステムを扱っていました。夜中の12時頃まで働くこともありましたね。

その東京での経験は、現在にもつながっていますか。

あの時に泥水を飲むような営業を経験したので、今は大抵のことができちゃいます(笑)。
ただ、東京では、難しい仕事に無理をして食らいついている感覚もありました。「これ、私じゃなくて、ほかの人がやった方がいいよな」と思うことも多くて。
営業時代は泣き言のように、「もう、飴とかチョコとか簡単なものを売りたーい」とよく言っていました。今考えると、願いがかなっていますよね(笑)。

その中で、この先のご自身の天井が見えてきたのでしょうか。

「このまま進んでも、自分が思う幸せな生活にはならない」と感じてしまって。
会社を辞め、ワーキングホリデーの準備を進め、東京の家も解約しました。そのタイミングで新型コロナウイルスの感染が広がったんです。
会社は辞めた。家もない。海外にも行けない。本当に八方塞がりでした。迷って新潟に帰ったというより、残された道が新潟へ戻ることしかなかったんです。

これ、私めっちゃ天職かも。

帰郷した時点でマスヤを継ごうと考えていましたか。

何もやることがなかったので、「じゃあ、バイトでちょっと手伝うわ」という感じでしたね。社会復帰を兼ねて、少し働く程度の気持ちでした。

実際に働いてみて、印象は変わりましたか。

そうですね。完全に変わりました。
固定観念や肩書きを全部取っ払ったら、スーパーの仕事がめちゃくちゃ楽しかったんです。
東京では、「無理して頑張らないといけない」という感覚がありました。
でも、マスヤでは、頑張ろうと意識する前に自然にどんどん仕事に熱中していって。遊ぶように夢中で仕事をするっていう、私が憧れていた理想の形がここで見えたんです。

栗林さんの得意なことが生かされたのでしょうか。

そうなんです。マスヤこそ、私の長所や強みが生きる場所だと感じました。
自分が食べて「めっちゃおいしい!」と心が動いた商品を、その感動のままお客様に伝える。東京で培った営業の経験や行動力も、人と違うことを面白がる性格も、全部ここでつながったんです。
それに私、昔から食べることが大好きで、グルメオタク気質だったんですよ。
東京で営業をしていた時も、仕事ではあまり褒められなかったんですけど(笑)、会食や接待のお店を選ぶ時だけは、上司から「お前が選ぶ店は本当においしい」と褒められていました。
そうした経験も全部つながって、「これ、私めっちゃ天職かも」「この仕事を極めたい」と思ったんです。

ようやく、自分に合う居場所を見つけたんですね。

東京で働いていた頃は、川の流れに逆らって、必死に上流へ進もうとしていたのかな。
新潟へ帰ってくる時は、もう選択肢がなかったので、流れにそのまま身を任せた。そうしたら、ここにたどり着いたんです。流れ着いたここが一番、自分に合った居場所だったんですよね。

新潟を離れた経験も今につながっていますか。

すごくつながっていると思います。以前は「新潟には何もない」と思っていました。
でも、東京を経験して戻ってきたら、「新潟、めっちゃ色々あるじゃん!」と思えたんです。
東京で満員電車に揺られていた時期があるからこそ、赤塚の景色を見るだけで「帰ってきてよかった」と思います。それだけでもう、幸せなんです。

そして、2026年3月に正式に社長へ就任されました。

先代の父が、業界経験のない私にも「やってみたらいい」と任せてくれたことには感謝しています。
ただ、昔の形をそのまま守るのではなく、受け継いだマスヤを時代に合わせて自分らしく変えていくことが、店の歴史を未来へつなぐことになると思っています。

ピンチも失敗も、最後は物語になる。

これまで、スーパーを経営していく中での失敗談はありますか。

あります、あります。私、結構どんぶり勘定なんですよ(笑)。
以前、ものすごく甘くておいしいトウモロコシを1000本仕入れたことがありました。「これは絶対に売れる」と思ったんです。でも、土日で売れたのは300本だけ。トウモロコシは鮮度が命の商品なのに、700本も残ってしまいました。

残った700本のトウモロコシは、どうしたのでしょうか。

火曜日の午前中に、Instagramで「すみません!私、このトウモロコシが美味しくて自信があるから、めっちゃ売れると思っていっぱい仕入れたんですけど、残り700本あります!原価ギリギリにするんで、皆さんぜひ買いに来てください!」と呼びかけたんです。そうしたら、配信して5分くらいでお客様が来てくれたんです。作業着を着たお兄さんたちが10人くらい並んで来て、「インスタライブ見たから、仕事の現場へ行く前にみんなで買いに来た」と言ってくれたりして。その結果、なんと約2時間で完売しました。

すごい反響ですね。

売り切れた後から来たお客様が「私も、このイベントに参加したかったのに」と悔しがってくれたんですよ。
安いトウモロコシを買いたかったのではなく、この出来事に参加したかったと言ってくれた。その言葉を聞いて、単なる販売ではない何かが生まれていると実感しました。

その日は雨だったんですけど、販売を終えた頃に二重の虹がかかって。スタッフと「今日は、本当にいい一日だったね」って。失敗から始まったのに、最後はちゃんとハッピーエンドになってくれました。

失敗も隠さずに発信することを大切にしているのですか。

隠したところで、何も解決しないじゃないですか。
失敗したら、まず正直に伝える。そして、人にお願いするからには、自分が誰よりも動くようにしています。

その発信力が、生産者のピンチを救ったこともあったそうですね。

新潟市南区のヤマヨ果樹園さんが作ったル・レクチェグミの話ですね。
コンビニとの商談がまとまらず、賞味期限まで約1週間という段階で、数万袋の在庫が残っていました。相談を受けた日の夜に農園へ行くと、倉庫には本当にたくさんのグミが積まれていて。
同じ地域の農家さんですし、経営者として、これだけのロスが出る大変さも想像できました。どこまで力になれるかは分からなかったけれど、とにかく頑張ろうと思ったんです。

それで、その場でInstagramのライブ配信を始めました。「緊急事態です!南区の農家さんが困っています。新潟県民のみんなで助けませんか!」と呼びかけたんです。

翌日、どのような反響がありましたか。

翌朝、その動画が130万回再生されていて、今まで来たことのない量のDMが届いていました。店へ行くと、開店前からお客様が並んでくれていたんです。一人で何箱も買ってくださる方もいましたし、県外のお店からも「販売に協力したい」と連絡が来ました。

結果、マスヤだけで約4万8000袋を販売し、1週間で完売しました。最後は「すみません、もう完売してしまいました」と謝ったくらいなんです。この経験から、SNSは商品の宣伝だけではなく、地域が困った時の巨大な拡声器やライフラインにもなるんだと思いました。

ちなみに、ヤマヨ果樹園さんとは、今も取引が続いています。もう、戦友みたいな感じですね。
失敗もピンチも、隠さずに人を巻き込めば、最後には面白いストーリーの材料になると思っています。お客様との信頼関係で、ムーブメントが起こせたっていうことも、すごい自信になった経験でしたね。

SNSは、最初から重要だと考えていたのですか。

そうですね。絶対に武器になると思っていました。
私がマスヤへ入った当時は、Instagramを積極的に使っているスーパーがまだ少なかったんです。
同時に、自分たちのような店を表す言葉として、実は私が「ローカルスーパー」という言葉を使い始めたのではないかと思います。

なぜ「ローカルスーパー」だったのでしょうか。

地域密着スーパーやご当地スーパーよりも、カタカナで格好よく聞こえる言葉はないかなと思って。田舎のスーパー、カントリースーパー……いろいろ考えて、「ローカルスーパー、いいじゃん」って(笑)。
投稿や取材のたびに使っていると、雑誌やテレビでも表現してもらえるようになりました。
便利な大型店ではなく、うちのような小さなスーパーへ、どうすればわざわざ来てもらえるのか。商品だけでなく、「ローカルスーパーへ行くこと」自体を面白くする必要があると思ったんです。

オリジナルTシャツも、その一つですね。

そうそう。人がやらないことをやるの、大好きなんですよ。スーパーがTシャツを作るのはたぶん、新潟では最初だったと思います。
あ、今日着てるのがそのTシャツなんですけど、このTシャツが数百枚売れて。お客様から「伊丹空港で着ている人を見た」「長野の山頂にいた」と目撃情報が来るようになりました。
マスヤのTシャツを着た人同士が、出先で「仲間だ!」と声をかけ合うこともあるそうです。商品を買うだけではなく、マスヤを好きな人同士がつながる。そんなコミュニケーションのきっかけをつくれたことは、うれしいですよね。

マスヤのオリジナルTシャツ。
マスヤのオリジナルTシャツ。
仕入れる商品は、どのような基準で選んでますか。

基本的には、私が食べ続けたいと思うかどうかです。
食べた瞬間に「めっちゃおいしい!」と思って、心のバロメーターがどれくらいギュイーンと動いたか。その振れ幅が大きい商品ほど、ヒットするんです。
『夢もん』というスイーツも、食べた時に「なんだこれ。超おいしいじゃん!」と感動した商品です。自分の感動を偽りなく伝えることで、お客様も共感してくれる。それが大切なんだと実感しましたね。
店内のPOPも「伝われー!」と思いながら、魂を込めて書いています(笑)。
ただ商品を並べるだけではなくて、誰がどんな思いで作った商品なのかを伝えたい。漬物や味噌にも、作り手の人生が込められています。ストーリーを知ることで得られる食の楽しみをマスヤを通して伝えたい。メッセンジャーの役割も担いたいと考えています。

大阪の人気洋菓子店から毎日100個入荷している、大ヒットスイーツ『夢もん』。
大阪の人気洋菓子店から毎日100個入荷している、大ヒットスイーツ『夢もん』。

ローカルだけど、世界に届くスーパーへ。

今後、マスヤをどのようなスーパーにしていきたいですか。

ローカルだけど、グローバルを相手にする。世界に届くスーパーにしたいんです。
県内だけではなく、全国から、最終的には海外からも、マスヤを目的に来てもらえる店にしたいと思っています。

東京から、マスヤを目的に来店したお客様もいたそうですね。

一度だけ、レジで「マスヤを目的に東京から来ました」と言われたんですよ。
マスヤそのものを目的に来てくださったことが、めちゃくちゃうれしかったですね。マスヤをきっかけに、新潟へ来てもらえる店にしていきたいです。

マスヤを目的に、新潟へ来る人がさらに増えそうですね。

マスヤを、新潟をプレゼンする場所にしたいんです。
県内各地のおいしいものを集めて、生産者さんの思いと一緒に紹介する。マスヤへ来れば、さまざまな地域の商品と出会える。そんな場所にしたいですね。

最近は、商工会の方から地域の商品を紹介していただく機会も増えました。「地域のうまいもんがあったら、とりあえずマスヤの栗林に紹介しようぜ」という動きを、新潟県内につくれているんです。

栗林さんは、商品の発掘そのものも好きなのですね。

バイイングの仕事が、すごく好きなんです。個人商店は本来、そこまでする余裕はあまりないけど、あえて私は現地へ行って、生産者さんに会って、その土地の空気を感じながら、おいしいものを見つける。それをマスヤへ持ち帰って、自分の言葉でお客様に紹介するようにしています。
小さな店だからこそ、一つ一つの商品に込められた背景まで、丁寧に伝えられると思っています。

生産者にとっても、マスヤが新しい販路になりますね。

マスヤが潤えば、生産者さんも潤う。生産者さんが元気になれば、その地域にもお金や人が巡っていく。
そういう循環を、もっと大きくしていきたいです。
実際に、「マスヤさんと仕事をするようになって、ほかの取引も増えたよ」と言ってくださる方もいます。
そう言われると、めちゃくちゃうれしいです。やっぱ私女神なのかなとか思って(笑)。
「私、ラッキーガールだから。一緒に仕事をすると、みんな運が良くなるよ」って言っています(笑)。

その未来に向けて、味方店の隣にある約600坪の土地を活用する計画も進んでいるそうですね。

これは、めちゃくちゃドラマなんです。もう本当に感謝で。
現在の味方店は築30年ほどで、配管などの設備はいずれ更新しなければなりません。床を剝がして工事をすれば営業も止めることになるため、移転するのか、建て替えるのかを考えていました。そんな話を以前から、買い物に来てくださる隣の大井工務店さんの社長さんにもしていたんです。そしたら半年ほど前に、大井工務店さんから「マスヤが隣の土地を必要としているなら、自分たちは移転してもいい」と声をかけていただいて。

マスヤが隣地を使えるよう、会社の移転まで考えてくださったのですね。

本当にありがたいですよね。その方も一代で会社を築いてきた経営者で、今後の事業を考える中で、移転先となる倉庫を見つけていたそうです。
ただ、実際に移転するかどうかは、マスヤが約600坪の隣地を使いたいと思うかどうか。それを一つの判断材料にしてくださったんです。突然のお話でしたけど、直感で「これは逃してはいけない」と思いました。

ほかの地域への移転も考えていた中で、隣の土地が空くことになったんですね。

まさか隣の土地が空くなんて、神様が「この味方で商売を続けなさい」と言っているように感じたんです。
隣接する土地は、「借金をしてでも手に入れた方がいい」といわれるくらい貴重だとも聞きますし、こんな機会はもうないと思いました。それで、「ぜひ、そのお話に乗らせてください」と、かなり早く決断しました。

新しい店舗は、どのような場所になりそうですか。

2028年5月を目標に、計画を進めています。
最初は建物を解体し、更地にして新築する案もありました。ただ、建築費が高くなっていることもあり、現在の倉庫を生かす方向で考えています。この倉庫や、大井さんが使っていたものを残すことにも、すごくストーリー性があると感じたんです。私たちのために移転してくださる方への感謝も残したい。「サンキュー大井さん」ぐらい、感謝が伝わる外観にしても面白いよね、と話しています(笑)。

一方、中之口店でも、新しい動きが始まっているそうですね。

これもドラマみたいな話なんですよ。
マスヤ2店舗目の中之口店は、以前の店長が高齢になったことや、設備、経営状況などの問題が重なり、一度閉店しました。何とか店を残せないかと、全国の事業承継を支援する機関にも相談し、経営者を探しました。でも、なかなか条件の合う方に出会えなかったんです。
一度店を閉じた後、中之口で事業をしている私と同い年の経営者とご縁があって知り合いました。
その方から、「マスヤ中之口店の場所を借りて、新しい形で地域に還元したい」と言っていただいたんです。それはもう、ぜひとお返事しました。

すごい展開ですね。経営としては別物になるのでしょうか。

経営者も会社のお財布も別です。ただ、お互いに信頼関係があるので、マスヤの看板を貸して、一緒に店をつくっていく形です。味方店と同じスーパーをもう一つつくるのではなく、中之口の地域に合った場所にしたいと思っています。

具体的には、どのような店舗にしていく予定ですか。

その経営者の方は、工場を経営する傍ら、アイスクリーム店やお寿司屋さんも運営しているんです。
そこで、テイクアウトのお寿司や手作りアイス、お総菜、駄菓子などを扱う予定です。UFOキャッチャーも置いてみようか、という話もしています(笑)。
昔は、駄菓子屋さんのように、子どもたちが学校帰りに自然と集まる場所がありましたよね。
家や学校や職場とも違う、地域にあるもう一つの居場所です。私たちは「街のリビング」をつくろうと話しています。

最後に、若い読者へメッセージをお願いします。

伝えたいことはたくさんあります。まず、自分をちっぽけな人間だと思わないでほしいです。私は、もともと引っ込み思案で、自分に自信がなくて。
「才能がない」とへこんでも、「まだ自分のことを知らないだけ!」と考えながら、めちゃくちゃ努力してきました。才能があったから今の場所にたどり着いたのではなく、挫折と努力の積み重ねが、好きなことを仕事にして夢中で進む今につながっています。

好きなことを仕事にするには、努力の積み重ねが必要なのですね。

好きなことを自由にするためには、その何倍も、やりたくないことや大変なことをしなければ、その環境はつくれません。今は海外へ視察に行ったり、おいしい商品を探したり、好きなことに挑戦できています。でも、努力と積み重ねがあっての今です。意外と私、コツコツ型なんですよ(笑)。

今の自分だけで、将来を決めなくていい。

今の自分にできることだけで、将来を決める必要はありません。自分は何にでもなれると思って、できるだけ大きな夢を描いてほしい。夢の大きさは、その人の伸びしろであり、器にもなると思うんです。
私の好きな言葉は「青天井」。リミットがないってめっちゃいいですよね。

その言葉どおり、栗林さんは毎日、味方のエンタメをつくっていますね。

確かに(笑)。毎日、本当にいろいろなことが起こるんですよ。楽しいこともありますし、「どうしよう」と思うこともたくさんあります。でも、ピンチも最後には思いもしなかったストーリーになってくれていて。人生がなんだか楽しいんです。

マスヤは、これからも新しい物語をどんどん生み出していきそうですね。

味方店では、新潟のおいしさを世界へ届ける。中之口店では、地域の人が集まる街のリビングをつくる。
お客様も、生産者さんも、地域の方も、マスヤを通してどんどんつながっていってもらえたらうれしいです。これからも、マスヤはさまざまな挑戦をしていきますよ。だって、青天井ですから(笑)。